自慰的行為 ― 2006年01月14日
文章を書くのは究極的には自分のためだ、というタイプなので、「じゃあそれは要するにマスターベーションと同じじゃないですか」とよく言われる。そうかも知れない。そうではないのかも知れない。まぁ少なくとも今現在の私は、自分の文章を読むことを他人に強要してないので、自慰的行為だとしても勘弁して下さいこれくらいは、と苦笑するに留める。
実際には、私はこの世で最も甘く慈愛に満ちた読み手であると同時に、この世で最も苛烈かつ容赦ない読み手でもあるので、「自分のために書く」のは、言葉でイメージされるほど穏やかな行為ではない。このBlogやホームページに顔を出す文章は、私なりに設けたいくつかの関門を突破した代物であるし。それでこの程度かよ、という話に当然なるのだけど、それは単に私の文章力の限界や人間としての器の小ささに由来する話で、とりあえず書き散らして載せてみました、という結果ではない——というところで大目に見てもらおう。
私は、他人を喜ばそうと思って書いて、成功したことはない。少なくとも、思い出せない。
自分が、その時なりに全力を出し切って天啓の助けも得て書いたものが、自分の周囲のごく狭い範囲で、ある程度のパワーを発揮したことはある。しなかったことも、もちろんあるけれど。
常に顧客の望む文章を、ぺろりと何百枚書き切り、その都度一定以上のパワーを発揮するということが「職業作家」の条件ならば、私はそうであったことは一度もないし、恐らく余程の女神の恩恵と強制がない限りこれからもそうなることはないだろう。そして、それを嘆きもしないだろう。
人間誰でも、心の中を深く潜っていくと、自分の中に存在する大いなる他者とでもいうような何かにぶつかる。自分の一部でありながら、最も自分から離れた何か。自分の影絵。自分とは認められないほど歪みきった汚物、あるいは自分とは信じられないほど崇高な宝物。
他の人はどうか知らないけれど、私にとっては「自分を納得させる文を書く」のは、その他者をも納得させる行為で、しかもはなはだ厄介な行為である。
その代わり、自分のために書いた何かが、時折、自分を突き抜けて本当の他人を動かすことが——本当に稀にだけれど、あるらしい。そしてそれは常に結果で、目的にはならない。
まぁでも結局のところ、本当にこれは単なる自慰なのかも知れない。私が書くのは、書いていなければ死んでしまうからで、たとえ書くことが法律で規制されようが死刑の対象になろうが書いているだろう。
実は私に必要なのは、「それは単なる自慰じゃないですか」と言われた時に、「だから?」と平然と問い返す、ある種の強さ(冷酷無惨さでもあるけれど)なのかも知れないが。
実際には、私はこの世で最も甘く慈愛に満ちた読み手であると同時に、この世で最も苛烈かつ容赦ない読み手でもあるので、「自分のために書く」のは、言葉でイメージされるほど穏やかな行為ではない。このBlogやホームページに顔を出す文章は、私なりに設けたいくつかの関門を突破した代物であるし。それでこの程度かよ、という話に当然なるのだけど、それは単に私の文章力の限界や人間としての器の小ささに由来する話で、とりあえず書き散らして載せてみました、という結果ではない——というところで大目に見てもらおう。
私は、他人を喜ばそうと思って書いて、成功したことはない。少なくとも、思い出せない。
自分が、その時なりに全力を出し切って天啓の助けも得て書いたものが、自分の周囲のごく狭い範囲で、ある程度のパワーを発揮したことはある。しなかったことも、もちろんあるけれど。
常に顧客の望む文章を、ぺろりと何百枚書き切り、その都度一定以上のパワーを発揮するということが「職業作家」の条件ならば、私はそうであったことは一度もないし、恐らく余程の女神の恩恵と強制がない限りこれからもそうなることはないだろう。そして、それを嘆きもしないだろう。
人間誰でも、心の中を深く潜っていくと、自分の中に存在する大いなる他者とでもいうような何かにぶつかる。自分の一部でありながら、最も自分から離れた何か。自分の影絵。自分とは認められないほど歪みきった汚物、あるいは自分とは信じられないほど崇高な宝物。
他の人はどうか知らないけれど、私にとっては「自分を納得させる文を書く」のは、その他者をも納得させる行為で、しかもはなはだ厄介な行為である。
その代わり、自分のために書いた何かが、時折、自分を突き抜けて本当の他人を動かすことが——本当に稀にだけれど、あるらしい。そしてそれは常に結果で、目的にはならない。
まぁでも結局のところ、本当にこれは単なる自慰なのかも知れない。私が書くのは、書いていなければ死んでしまうからで、たとえ書くことが法律で規制されようが死刑の対象になろうが書いているだろう。
実は私に必要なのは、「それは単なる自慰じゃないですか」と言われた時に、「だから?」と平然と問い返す、ある種の強さ(冷酷無惨さでもあるけれど)なのかも知れないが。
最近のコメント